私はこの言葉を聞いて直ぐに思い出すのが東京オリンピックマラソンで銅メダルを取った
円谷幸吉選手の事です、出場選考会では君原健二選手に期待を寄せられていたのですが
最終国立競技場に2位で入場してきたのは円谷選手、「頑張れ!頑張れ、頑張って!」
と大歓声が起こりつつも後続の選手に追い抜かれゴールしてバタッと倒れフラフラだった。
それでも観衆は円谷選手にエールを送っていた記憶が有ります。見事3位なんですから
栄光と孤独のランナー
http://www.city.sukagawa.fukushima.jp/rekisi/hito-1.html一位はエチオペアの裸足の英雄アベベ選手、抜かれた2位イギリスのヒートリー選手です。
日本で本命視されてた君原選手は8位に終りプレッシャーはキツかっただろうなと思った
その時の日本は敗戦から立ち直り高度成長期と呼ばれる位に何もかもが変わった時でした。
電話、テレビ、洗濯機、冷蔵庫、自動車、高速道、高層ビル、電車、トロリーバス
あちらこちらで建設ラッシュ、慌しい時代での東京オリンピック、世界に日本は
健在をアピールする良い機会なので競技一つ一つに期待が高まる。そうだ女子バレーの
東洋の魔女も、この時だった。そして大活躍をして東京オリンピックは無事終了。
そして次のメキシコオリンピックに、それ以上の期待を込め猛特訓が始まったのでしょう
真面目な円谷選手は、次は金との期待に不調も文句も言えず走り続け最後は重圧に屈指て
こんな遺書を残して、この世を去ってしまいました。学校でも読まされ感想文を書いた。
「父上様、母上様、三日とろろ美味しゅうございました。
干し柿、モチも美味しゅうございました。
敏雄兄、姉上様、おすし美味しゅうございました。
克実兄、姉上様、ブドウ酒とリンゴ美味しゅうございました。
巌兄、姉上様、しそめし、南ばん漬け美味しゅうございました。
書久造兄、姉上様、ブドウ液、養命酒美味しゅうございました。
又いつも洗濯ありがとうございました。
幸造兄、姉上様、往復車に便乗させて戴き有難うございました。
モンゴいか美味しゅうございました。
正男兄、姉上様、お気を煩わして大変申しわけありませんでした。
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、
敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、
恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、立派な人になって下さい。
父上様、母上様、幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
何卒お許し下さい。
気が安まることもなく御苦労、御心配をお掛け致し申しわけありません。
幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。」
その後流れてヒットした曲が涙を誘いました。
一人の道 1972年(昭和47年)ピンク・ピクルス
ある日走った その後で 僕は静かに 考えた
誰のために 走るのか 若い力を すり減らし
雨の降る日も 風の日も 一人の世界を 突っ走る
何のために 進むのか 痛い足を がまんして
大きな夢は ただ一つ 五つの色の 五つの輪
日本のための メダルじゃない 走る力の 糧なんだ
父さん 許して下さいな 母さん 許して下さいね
あなたにもらった ものなのに そんな生命を 僕の手で
見てほしかった もう一度 表彰台の 晴れ姿
だけど 身体は動かない とっても もう 走れない
これ以上は 走れない
こんな事を言うと下品かもしれませんがナショナリズムって何なのかと思ってしまう。
あの時は自衛隊が出来て間もなくでキャンペーンも兼ねて忙しかったのでしょう。
そこに自分の意思は無く大きな存在に左右されて操り人形化してたのだろう。
そう考えると今の選手は楽しんで、やっているように見えるので個人とナショナリズムの
バランスが上手く取れているように思う。見ていても肩が凝らない。
タダ一つ、この記事で言われてるプロは誰の為に何の為に何を目的にするのか・・・
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20040822k0000m070112000c.html女子マラソン野口みずきさん金メダルおめでとう
http://www.asahi.com/sports/update/0823/003.html最後に・・私達は円谷選手の事は忘れません。出来れば天国から日本を応援して下さい。